新潟市名誉市民 荻野久作博士
〜その業績と人柄〜 「主要論文集刊行記念講演会」
日本医史学会理事長 蒲原 宏氏
新潟市竹山病院顧問 竹山行雄氏日時:平成13年5月9日(水) 午後2時〜4時
場所:新潟大学医歯学図書館(旭町分館)
新潟市旭町通1-754
荻野久作先生について
日本医史学会理事長
蒲原 宏
排卵荻野学説の提唱者、産婦人科医。 1882年(明治15)3月25日、愛知県八名郡
下川村大字東下条中村彦作の次男として生まれる。 1901年同県西尾町荻野忍の養子
となる。1909年東京帝国大学医科大学卒業、1910年から母校産婦人科教室木下正中
教授の下で研修、1912年(明治45)2月新潟市竹山病院産婦人科部長となり、その
傍ら1922年(大正11)1月から新潟医科大学病理学教室で川村麟也教授の指導の下
に病理学を研究、1924年8月2日東大に主論文「人類黄体ノ研究」(1923年2月北越
医学会雑誌38巻1号発表)を提出、医学博士となる。この基礎的研究にもとづき、
1924年6月白本婦人科学会雑誌第19巻6号に発表した「排卵ノ時期、黄体ト子宮粘
膜ノ周期的変化トノ関係、子宮粘膜ノ周期的変化ノ周期及ビ受胎胎日二就テ」の
論文は、月経のメカニズムの解明であった。すなわち子宮粘膜の増殖期は個人によっ
て異なるが、黄体期が一定していることを提唱し、「排卵は次の月経第1日から逆算
して14日プラスマイナス2日にある」とする荻野学説を決定的なものとした。多少
の例外はあるとしても、荻野学説によって受胎期が大略算定できることから、自然
に逆らわない避妊法に応用され、荻野式受胎調節法と称されたが、荻野自身は「避
妊法と受け取られるのは迷惑で、むしろ子供が欲しい人に役立つ学説」であると主
張していた。
荻野のもう一つの業績は、京大の岡林博士が開発した子宮頚部癌の手術術式を改
良し、荻野変法という根治率の高い手術術式を開発普及させ、現在の子宮癌手術の
基礎を築き上げたことである。しかもこれは、市中の多忙な開業医の仕事の中での
資料と観察によって出来上がっていったという驚異的な業績である。
人格まことに円満、1951年(昭和26)3月新潟市名誉市民、1952年日本産婦人科
学会名誉会員、1955年第2回世界不妊学会名誉会長に推され、1958年紫綬褒章、
1996年度朝日賞などの栄誉のなかにあって、晩年に至るまで診療に手術にたゆむこ
となく従事した。1975年(昭和50)1月1日、新潟市寄居町343の自邸で病没、93歳。
新潟市日和山の共同墓地に葬る。自邸の前の市道が、市民の発意により1975年3月
29日、正式に「荻野通り」と命名され、世界的な学者である市井の名医の名を永遠
に伝えることとなった。−−新潟県大百科事典(昭和52年)より−−
荻野久作博士略歴
明治15年3月25日(1882年) 愛知県豊橋市下条東町に中村彦作の次男として出生 明治33年5月(1900年) 荻野忍の養子となる 明治38年7月(1905年) 東京帝国大学医科大学に入学 明治45年(1912年) 竹山病院に就任 大正11年−昭和4年(1922年−1929年)新潟医科大学病理学教室で研究に従事 大正12年(1923年) 論文「人類黄体の研究」を北越医学会雑誌に発表 大正13年(1924年) 論文Γ排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化と の関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎日に ついて」を日本婦人科学会雑誌に発表 「人類黄体の研究」を学位論文として東京帝国大学 に提出、医学博士の学位を得る。 昭和5年(1930年) ドイツの婦人科中央雑誌に、論文「排卵日と受胎日」 を発表、大反響を起こす。 昭和11年5月(1936年) 竹山病院院長に就任 以後、理事長、産婦人科医師として勤務 昭和42年6月(1967年) 竹山病院理事長を辞任、顧問となる 昭和50年1月1日(1975年) 93歳で逝去論文集の刊行
1)荻野久作博士の論文集 荻野久作博士の全論文58編を論文集として刊行した。 論文集とは別に、全論文を研究者がコピー等で利用しやすいように集積としても 保存した。 目次 2)荻野久作博士記念論文集 荻野久作博士の主要論文3編および業績目録とともに、略歴、業績の紹介などを主 要論文集として刊行した。 主要論文 (1)排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化との関係、子宮粘膜の周期的変 化の周期及び受胎日について 日本婦人科学会雑誌 19巻6号 大正13(1924) (2)Ovulationstermin und Konzeptionstermin(排卵日と受胎日) Zentralblatt fur Gynakologie 54Jahrg.,Nr.8 1930(昭和5年) (3)人類黄体の研究(学位論文) 北越医学会雑誌 38巻1号 大正12(1923)
論文集刊行の経緯
この度、新潟大学医歯学図書館(旭町分館)は、荻野久作博士の業績の集積と、主要論文
刊行を行いました。医歯学図書館(旭町分館)は医学図書館として最新の医学情報の提供はもちろんですが、
医学の歴史的情報を保護し提供することも重要な使命の一つと考えています。これまでに
も、明治12年新潟医学校(現新潟大学医学部)の初代校長であった竹山 屯先生が収集
された蔵書を、ご子孫のおられる竹山病院からご寄贈いただいた竹山文庫をはじめ、森田
文庫、藤田文庫を医学の貴重資料として特別閲覧室・特別資料室に展示してきました。
荻野久作博士は、いわゆる「オギノ式」で知られますが、博士のこの世界的学説はドイ
ツの産婦人科学の専門誌に掲載されて世界的な評価を受けました。荻野博士は東京帝国大
学を卒業後、新潟市の竹山病院に産婦人科医として臨床にあたるとともに、新潟医科大学
病理学教室で研究をされ、世界的な業績をあげられました。
荻野久作博士の業績の集積と主要論文集の刊行は、博士が仕事をされた新潟大学の図書
館として期待されるものではありましたが、その仕事はかなりの困難を伴うものであり、
通常の図書館業務を行っているなかでは、なかなか手が付けられるものではありませんで
した。また、荻野久作博士についての医歯学図書館(旭町分館)への問い合わせにも、十分には応えること
ができなくて、図書館としては無念の思いがありました。
今回の業績の集積と主要論文集の刊行は、あるきっかけと図書館員の熱意により、その
無念の思いを晴らすことができたものです。医歯学図書館(旭町分館)は平成12年に増改築工事が完成し、
竹山文庫など貴重資料は総檜造りの特別閲覧室に収められました。その報告に分館の中野
美智子専門員が竹山病院に伺った際に、荻野博士自筆の「研究業績目録」をいただきまし
た。この目録があれば荻野博士の業績論文集ができる、今まで医歯学図書館(旭町分館)に寄せられていた
期待に応えることができる、彼女はそう思ったそうです。それからは医歯学図書館(旭町分館)の職員が協
力し、分館の総力を挙げて業績を集めました。
博士自筆の業績目録に載っていた58論文のうち、約半数は医歯学図書館(旭町分館)と医学部産婦人科
学教室で所蔵していました。残りの半分は全国の大学図書館を探し回り、アメリカの国立
医学図書館から取り寄せたものもあります。荻野博士ご自身が整理されていた論文もあり、
すべての論文を集めることができました。また、竹山病院のご厚意により荻野博士直筆の
原稿および原稿作成ノート、お写真などをお借りすることができ、この主要論文集に載せ
ることができました。
集積された荻野久作博士の業績58論文は、論文集として作成し保存するとともに、各
論文を容易に利用できるように、コピー用の資料集も用意しました。また、荻野博士を世
界的な研究者とならしめた2つの主要論文と学位論文を、業績の集積の記念に「荻野久作
先生主要論文集」として刊行いたしました。
この業績集が、偉大な学者であるとともに、人々に心から信頼された名医であった新潟
市名誉市民・荻野博士の、ご研究の一助となれば幸いです。
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