佐野文庫について

佐野文庫の概要

佐野文庫は、別名「敬徳書院蔵書」と称し、新潟県三島郡出雲崎町在住の佐野喜平太氏が収集した蔵書で、総数は和漢の典籍5,237点と地方古文書約2,800点に及びます。

佐野家は、江戸時代に佐渡の金山の渡海港・北前船の寄港地として栄えた出雲崎湊を拠点として活躍した廻船問屋で、屋号を泊屋と称し、のちに地主に転じました。

佐野喜平太氏は幕末の慶応2年(1866)に出生しました。明治20年(1887)、22歳で尼瀬石油社設立時に頭取となりますが、尼瀬油田の衰退後は、政界へと転身します。明治3年(1900)の立憲政友会新潟支部結成に際して評議員となり、明治34年(1901)には町長に選出され、尼瀬町と出雲崎町の合併問題に奔走しました。その後、明治36年(1903)に県会議員、明治45年(1912)には第11回総選挙に当選し、衆議院議員となりました。

このような政治・経済活動の傍ら、喜平太氏は学問を好み、明治中期から大正初年にかけての約30年間、さまざまな書物を購入しました。こうして収集された蔵書に、中央政界で活躍し漢詩や書にも通じていた副島種臣が「敬徳書院」と命名したと言われています。

昭和35年(1960)喜平太氏の孫である佐野泰蔵氏(元新潟県立新潟高校教諭)の意を受け、この蔵書は本学の所蔵となりました。附属図書館では、昭和49年(1974)に『佐野文庫敬徳書院蔵書目録』を刊行し、現在、貴重資料室で保存に努めています。

所収資料について

佐野文庫に収められた資料は、国書、漢籍、古文書の3つに大別されます。

国書は、文学・儒学・史学・漢学など多岐にわたり、名家・学者の旧蔵書など貴重な図書も多くあります。

漢籍には多くの和刻本に加え、中国の明・清版や朝鮮の銅活字本も含まれています。

古文書は越後国出雲崎湊(現在新潟県三島郡出雲崎町)の廻船問屋で地主の佐野家文書と同湊の廻船問屋で越後国三島郡尼瀬町(現在新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)名主の京屋(野口家)の文書から構成されます。佐野家文書には同家の商業活動を示す資料が残されています。京屋文書からは近世の町の様子が窺い知ることができます。

それぞれの資料の構成については目録でご確認ください。

目録:佐野文庫 敬徳書院蔵書目録(電子版)

佐渡金山圖會について

新潟大学附属図書館佐野文庫所収の『佐渡金山圖會』は、江戸時代中期の金山での採鉱・精錬から実際の小判ができあがるまでの様子を描いた絵巻物です。絵巻の中には金山の坑道で働く人々の様子や当時使われた道具、小判所の様子などが克明に記録されています。その他にも、犬と戯れる子供たちの姿や、町屋で田楽を頬張る町人、乳飲み子を抱えて作業する女性の姿がいきいきと描かれるなど、当時の金山の様子を知る貴重な資料となっています。

佐渡金銀山を描いたこの種の絵巻は、江戸時代中期から末期まで数多く製作され、国内だけでなく海外にも伝来しており、製作時期により描かれる内容に変化があります。本学所蔵資料の中には、延享4年(1747)に設置された小判所は描かれていますが、宝暦9年(1759)に設置された寄勝場(よせせりば)は描かれていません。また、宝暦3年(1753)の製作であることが判明している新潟県立歴史博物館所蔵の絵巻と比べても、内容や筆致が酷似しています。これらのことから、本学所蔵資料は1750年前後の製作と推定されています。

『佐渡金山圖會』(さどきんざんずえ)
江戸時代中期 写本彩色 帖装 1巻 縦29.3cm